第10回都市対抗野球大会(だい10かいとしたいこうやきゅうたいかい)は、1936年8月1日から8月10日まで明治神宮野球場で開かれた都市対抗野球大会である。
概要
- 大会が10回を迎えた記念として、出場枠をこの年に限り4チーム分増やし、20チームによる大会となった。
- この年の3月23日、都市対抗生みの親と言われた橋戸信(頑鉄)が死去。これを受け、最優秀選手に贈られる賞を「橋戸賞」と呼ぶこととなった。また、大会後橋戸頑鉄追悼試合が2試合行われた。日本で特定の人物の死を悼み試合が行われるのは史上初。
- また、10回連続出場を果たした東京倶楽部、名古屋鉄道局、全大阪の3チームと、功労チームとして満洲倶楽部、大連実業団、全神戸、仙台鉄道局、全横浜、函館太洋倶楽部の各チームが表彰された。
- 過去最多のチームによるトーナメントを制したのは、常に八幡製鉄との激しい代表争いを演じてきた門司市・門司鉄道局。大会10回目にして企業チームが初めて黒獅子旗を手にした。
- また、2回戦の東京倶楽部-仙台鉄道局戦は10-10で引き分け、大会史上初の再試合となった。
出場チーム
大会
1回戦
2回戦
準々決勝
準決勝
決勝
- 決勝戦(8月10日)
勝:岡本 敗:五十嵐
(門司鉄道局は初優勝)
追悼試合
表彰選手
- 橋戸賞 井野川利春捕手兼監督(門司鉄道局)



