琴春日 桂吾(ことかすが けいご、1977年8月25日 - )は、福岡県春日市出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は山田 桂吾(やまだ けいご)、愛称はケイゴ。身長182cm、体重150kg、血液型はB型。得意手は左四つ、寄り、投げ。趣味はテレビゲーム。最高位は、東前頭7枚目(2010年11月場所)。2011年の大相撲八百長問題にて引退勧告処分を受け、引退した。
来歴
春日市立須玖小学校時代はソフトボールの選手であり、春日市立春日中学校時代は野球部のエースだった。中学卒業後佐渡ヶ嶽部屋に入門し、1993年3月場所に初土俵を踏んだ。当時の四股名は琴ノ山。序ノ口時代は現安田大サーカスのHIROにも敗れるなど苦戦し、軽量なため幕下以下で長期にわたり低迷していた。しかし琴奨菊、琴欧洲といった弟弟子に出世を追い越され奮起し初土俵から11年8ヶ月経った2004年11月場所に十両に昇進。この時の十両での勝ち越しは2005年5月場所の1回のみで、肘の故障もあって2006年1月場所を最後に十両から陥落した。
その後しばらく幕下で低迷が続いたが、2007年には番付を回復し5月場所では西幕下4枚目で5勝2敗であったが、東十両14枚目で7勝8敗の千代白鵬との比較で、十両復帰を見送られるという番付運の悪さに泣いた。しかし翌7月場所では東幕下筆頭で6勝1敗と大きく勝ち越し、十両復帰を果たした。その9月場所は10日目まで7勝3敗と好調であったが11日目から3連敗したため、7勝3敗からの5連敗で負け越した新十両時の再現となるのではないかと危惧されたが、14日目に勝ち越しを決め、9勝6敗と14場所ぶりに十両で勝ち越した。翌11月場所も8勝7敗と勝ち越した。2008年も好調は続き、5月場所にて初土俵から所要91場所という史上2位の遅さで新入幕を果たした。しかし幕内の壁に跳ね返され4勝11敗に終わった、なおその場所は同部屋の大関・琴欧洲が初優勝を果たし、その際の優勝パレードの旗手をつとめた。
2010年11月場所で14場所ぶりに幕内復帰、9勝6敗で幕内初の勝ち越しを果たした。
2011年の大相撲八百長問題では、特別調査委員会により琴春日が八百長に関与したと認められた。4月1日、相撲協会の臨時理事会の結果、引退勧告を受けた。4月4日、引退届を提出し、受理された。
引退後は一時期福岡市内で焼肉店を経営していた。
エピソード
- 2005年5月場所7日目の五城楼戦で取り直しになった際、同体となった一番で相手の五城楼が負傷していたため、取り直しが不可能となった(五城楼は翌日も割が組まれたが結局休場し2日連続の不戦敗、10日目から再出場したがまともに相撲が取れず13日目から再休場(不戦敗はなし)、結局この場所が関取として最後の場所となった)。それにより琴春日は不戦勝となったが、このようなケースは1948年の力道山対前田山戦以来のことであった。
- 新入幕会見の席で、小学校の同級生だった女性との婚約も発表。婚約者との交際が始まってから相撲の調子が上向き、再十両・新入幕へと繋がった。
- 琴春日の四股名は、自らの出身地である福岡県春日市に因んで名づけられた。
主な成績
通算成績
- 通算成績:491勝457敗9休 勝率.518
- 幕内戦歴:26勝34敗 勝率.433
- 現役在位:108場所
- 幕内在位:4場所
場所別成績
引退時の番付は2011年2月28日発表の順席による。
幕内対戦成績
改名歴
- 琴ノ山 桂吾(ことのやま けいご)1993年3月場所 - 1999年7月場所
- 琴春日 桂吾(ことかすが - )1999年9月場所 - 2011年4月
関連項目
- 大相撲力士一覧
脚注
外部リンク
- 琴春日 桂吾 - 日本相撲協会



