ダイアン・マーチン(Diane Martin、1961年12月19日 - )は、日本で活動していた元女優・モデル。

アメリカ合衆国出身。アメリカンスクール・イン・ジャパン卒業。スカイコーポレーションに所属していた。

来歴・人物

父はアメリカ人、母は日本人。父の仕事の関係で、12歳の時に父に付いて来日。アメリカンスクールを卒業後、モデルとして活動。

元は、スーパー戦隊シリーズのスポンサーであった後楽園ゆうえんちのキャンペーンガールとして活動していた。

1979年、スーパー戦隊シリーズ『バトルフィーバーJ』(テレビ朝日)の制作にあたり、東映の常務渡邊亮徳は当時のアグネス・ラム人気にあやかって、ミスアメリカ役にアメリカ人の美女を起用するよう指示を出した。そうした経緯で、マーチンは本名と同じ「ダイアン・マーチン」の役名で同作に登場することになった。

『バトルフィーバーJ』放送当時は日本語があまり得意でなく、マーチンのセリフは、ミスアメリカの初代スーツアクトレスであった小牧リサが吹き替えをしていた。小牧に代わってミスアメリカのスーツアクトレスを担当した小野寺えい子は、「低めの声で、片言の日本語を話していた記憶がある」と述べている。共演者の倉知成満(当時・倉知雄平)は、日本語が苦手だったために撮影現場ではローマ字による筆談でコミュケーションを取っていたと語っている。同じく共演者の大葉健二は、D.マーチンについて「モデルだけあって、立っているだけで絵になる方。立ち姿はとても参考になった」と語っている。

番組が半年予定が4クールに延長になり、後半のスケジュールを合わせられなくなったため第24話で途中降板している。

スポーツが得意で、特に水泳と陸上競技が得意。姉と弟がいる。

出演

テレビドラマ

  • バトルフィーバーJ 第1話「突撃!! 球場へ走れ」 - 第24話「涙! ダイアン倒る」(1979年、ANB) - ダイアン・マーチン / ミス・アメリカ

その他

  • 大正週間漫画 ゲラゲラ45(ANB)

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 安藤幹夫(編) 編『東映スーパー戦隊大全 バトルフィーバーJ・デンジマン・サンバルカンの世界』双葉社、2003年。 

【1分でわかる特撮ヒロイン】初代ミスアメリカ/ダイアン・マーチン(バトルフィーバーJ/演:D.マーチン) Shorts YouTube

ミスアメリカ/ダイアン・マーチン<演:ダイアン・マーチン> in バトルフィーバーJ(1979年~1980年) 特撮ヒロイン画報

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